2009年5月 3日 (日)

「つばさ」ロケ地を歩く

朝ドラ「つばさ」のオープニングで映る、廃線跡のような場所が気になっていました。ネット検索して調べたところ、西武安比奈(あひな)線跡と分かりました。

西武安比奈線は、西武新宿線の終点・本川越駅のひとつ手前の南大塚駅から、入間川方向の安比奈に向かう、全長3.2kmの貨物線で、関東大震災後の1925年に、入間川の川砂利採取を目的として開通したそうです。

1949年には電化しましたが、川砂利採取の規制を受けて、1963年にその役割を終えました。しかし、旧安比奈駅周辺に新しい車両基地を作る構想などがあるからなのか、40年以上経った今も線路や架線柱の大半が残され、廃線マニアには有名な線なのだそうです。

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南大塚駅で降りると改札付近に、「『西武安比奈線』周辺を歩く」という周辺案内図が用意されていました。注意箇所が細かく書いてあるので、これは便利です。

南大塚駅の階段窓から撮った写真です。右側に伸びているのは本川越方面へ向かう新宿線で、左側の途中で途切れている線路が安比奈線です。

駅北口前にある「スーパーまるなか・南大塚店」はつばさの父の友人が営む「鈴本スーパー」のロケ地です。主婦・つばさも買い物に利用しています。

024_2 住宅地の裏側に、♪線路は続くよ 、どこまでも♪

027線路は国道16号を渡り、まっすぐに続いています。道はまっすぐではないので、線路から少し遠ざかったり、また近づいたりしながら歩きます。小川を渡ったところで振り返ると、枕木が朽ちて宙に浮いた状態の線路が見えました。

その後、線路沿いの道を歩いていると、雑木林が見えてきました。

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「つばさ」オープニングで映る、黄色い絨毯が敷かれたような晩秋の雑木林がロマンチックです。主題歌「愛の季節」のサビにかかる手前あたりで映るところです。「愛の季節」はアンジェラ・アキさんの歌声が爽やかで素敵な曲ですね。「今日も一日頑張るぞ」という気持ちになります。

新緑の雑木林は清清しく、爽やかでした。

045雑木林沿いの道脇に、ノイバラが咲いていました。清楚な白い一重の花です。

031 道を隔てた反対側の雑木林が、「つばさ」ロケ地だったようです。案内板や柵が作られて、整備されています。

039_2コミュニティ放送局の開局許可を得るために、使える周波数を調べているシーンにも、この地が登場しました。そのシーンで使われたトロッコが置いてありました。ここはマムシが出るようなので、見に行かれる方はくれぐれも注意しましょう。

036_2 丸くふわふわした、薄赤紫の花が咲いている木がありました。カジノキ(梶の木)(クワ科)です。雌雄の区別があり、写真は雌花なので、秋には赤い実になります。

梶の木は昔から神聖な木とされ、神社の境内などに植えられることが多いようです。

042 入間川に架かる八潮大橋の上から見た線路です。木製の架線柱が時代を感じさせます。

044 八潮大橋から見た入間川の上流方向で、赤茶けた土砂が山のようになっている先のあたりに安比奈駅があったと思われます。

南大塚駅から写真を撮りながらゆっくり歩いて、往復1時間半ぐらいの散策でした。

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2009年4月 4日 (土)

小手指原を歩く

020 「太平記」に登場する小手指原古戦場跡・白旗塚に行ってきました。西武池袋線・小手指駅から道標に従って歩いて20分ほどのところで、「埋蔵文化財調査センター」の裏手にあります。西武バス・「早稲田大学」行きを利用すると、「誓詞橋」バス停で下車し、徒歩2分ほどです。

元弘3年(1333年)、新田義貞が鎌倉攻めをしたとき、最初に鎌倉幕府軍と激戦を交えたのが、小手指原といわれています。

019_2 左の写真の小山のようなところが白旗塚です。合戦のとき、新田義貞がこの塚の上に源氏の白旗を掲げたと言われています。前方後円墳型の塚で、塚そのものは古代の古墳と考えられています。ヤマザクラが見頃でした。

017 右は塚の頂上にある碑です。

021 駅に向かって戻る途中、道路沿いの畑に枝垂桃 が咲いていました。

023_2 線路近くの畑の一角に菜の花が植えられていました。少し粉っぽい甘い香りが漂う畑には、モンシロチョウが舞っていました。

030_3 砂川堀の枝垂桜はまだ蕾のものが多かったですが、西友・小手指店駐輪場にある桜は満開でした。

028この桜は、明治時代にアメリカに贈られ、ワシントンのポトマック川に植樹された「ポトマック桜」の子孫に当たるものだそうです。

日本から贈られた桜はソメイヨシノなのですが、アメリカに渡り、アメリカの風土で変化したのか、日本で一般的に見られるソメイヨシノよりも花が大きく、たくさんの花がボール状になって咲いています。咲き始めの花色も濃い目で、アメリカナイズされたゴージャスな桜ですね。

「太平記」DVD鑑賞は第39回まで進みました。成長した不知哉丸として筒井さんが初登場するのが第39回です。色黒でワイルド、今の筒井さんとは印象の異なる20歳の筒井さんです。

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2009年3月31日 (火)

箱根の旅

「姫路・神戸の旅」の続きを書くつもりでしたが、他に書きたいことが次々に出てきたので、ひとつの記事として書くことは止めます。簡単に振り返ると、うろこの家や風見鶏の館などの異人館を観て、三宮・元町でウインドショッピングをし、大阪のホテルに泊まり、京都に寄って京都タワーに初めて上り、JR京都伊勢丹でお土産を買って帰ってきました。

007 先週末、箱根に行ってきました。観光スポットはだいたい過去に行っているので、温泉に入ってゆっくりすることが楽しみでした。ウチを出たのが遅かったので、宿のある強羅に着いたのは3時頃。この時間から遠くには行かれないので、駅から歩いて行かれる強羅公園に行ってみました。

強羅公園は大正3年に開園した洋風庭園です。噴水のある広場から観る景色は素晴らしいものでした。後方の山に「大」の字が見えます。

011 早咲きの桜は咲いていましたが、ソメイヨシノはまだ蕾が固く閉じていました。見頃だったのはミツマタです。左はベニバナミツマタです。

002_2 この日はかなり寒かったのですが、温室の中はブーゲンビリアの花が満開でした。

泊まったのは「楽々花」という宿です。全9室という小ぢんまりとした宿ですが、食事もお風呂も満足できました。白く濁った温泉に入った後、肌がすべすべしていました。翌朝は露天風呂に浸かりながらウグイスの鳴き声を聞き、何とも至福なひとときを過ごせました。

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今回は、息子の部活合宿中をねらって、旦那と娘と私の3人で来ました。娘が行きたかったのは「箱根園水族館」です。少し前、新聞やテレビで報道されましたが、ここのバイカルアザラシのビリーくんはなんとも愉快な芸を披露してくれるのです。こちらで見られます。

私たちが行ったのは開園直後だったので、まだ空いていて良く見えたのですが、芸はショータイムの時間にしか披露してくれないようで、残念ながらユーモラスな姿を見ることはできませんでした。写真のアザラシはビリーくんではないようです。

026_2 箱根園前からロープウェーで駒ケ岳に上りました。右は頂上から観た芦ノ湖です。後方に薄っすらと見えるのは西伊豆方面です。ハイキングコースで早雲山まで歩くつもりでしたが、前日に降った雪で道がぐちゃぐちゃにぬかるんでいたので諦め、ロープウェーで引き返しました。

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2009年3月23日 (月)

姫路・神戸の旅

006 3月19日(木)

以前から訪ねたいと思っていた姫路城は、立派なお城でした。別名、白鷺城と言われるように白壁が美しく風格があります。法隆寺とともに日本で初めてユネスコの世界文化遺産に登録されています。

013_2 屋根の鬼瓦や軒丸瓦には築城した城主や修理をした城主の家紋を彫った瓦が使われています。城主は赤松氏、小寺氏、黒田氏、羽柴氏、木下氏、池田氏、松平氏、榊原氏、酒井氏と変わっています。左の写真でも異なる家紋の瓦が確認できます。鬼瓦の表情が漫画みたいでかわいいですね。

020 天守閣からの眺望はなかなかです。城内の桜が見頃の時期には人手も相当なものでしょう。私が行ったときは、ほとんど咲いていませんでした。

022 左は「播州皿屋敷」で有名な「お菊井戸」です。覗いてみましたが、かなり深い井戸です。思わず「いちま~い、にま~い・・・」と声を出してしまいました。

038 姫路から神戸まではJRの新快速で40分弱です。この日の宿はちょっと奮発してベイエリアのホテル。部屋の窓から、きらびやかな夜景を眺めることができました。神戸の街は整然と美しく、14年前の震災の傷跡は残っていないようでした。けれども、あの日のことを忘れてはいけません。025

神戸港震災メモリアルパークには阪神大震災の被災状況が保存されています。

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2009年2月 8日 (日)

秩父札所巡り

ウチから日帰りで楽に行かれる秩父ですが、札所巡りを目的にして出かけたのは今回が初めてです。なぜ唐突に「札所巡り」と思われるかもしれませんが、きっかけは先日読んだ「悼む人」です。主人公の静人は、事件や事故で亡くなった人を悼むために全国を旅しているのですが、最後に訪れた地が秩父周辺なのです。それに昨年の今頃、「鶴瓶の家族に乾杯」のロケで四国札所を訪れた筒井さんのことも思い出し、出かけることにしました。ですから、札所巡りといっても宗教的な意味はほとんどなく、酔狂な思いつきの散策です。

秩父札所は三十四ヶ所あり、西国三十三ヶ所、坂東三十三ヶ所とともに、日本百番観音に数えられています。秩父札所は秩父市を中心にした一巡約100kmの中に三十四の札所が点在しているので、西国や坂東よりも廻りやすいようです。ちなみに西国三十三ヶ所は一番・那智の青岸渡寺から始まり奈良の興福寺や京都の清水寺などです。坂東三十三ヶ所は一番・鎌倉の杉本寺から始まり、同じ鎌倉の長谷寺や東京の浅草寺の他、群馬・栃木・埼玉・千葉の寺が含まれています。

今回は初めてなので、一番から順に廻りました。だいたい近いところに次の番号の札所があるのですが、次の札所が少し離れているところもあるので、その場合は一番近い札所に行くことにします。番号順に廻らなければいけないということはないようです。しかし、逆周りだけは止めておきます。結界が開いて死者が甦る・・・これは「死国」の中のお話で、四国八十八ヶ所でも逆に廻る人もいるようですが・・・

002_2 右が一番・四萬部寺です。西武秩父駅からバスで行く予定だったのですが、バスの時間を間違え乗り遅れてしまい、やむなくタクシーを利用しました。料金は西武秩父駅から2,150円でした。本堂は江戸時代に建てられたもので、極楽・地獄図など細かな彫刻が施されています。しかし、あまり手入れがされていないようで、荒れた感じがします。あちこちに貼られた千社札の残骸が痛々しい・・・

そもそも千社札というもの、自分がここにお参りに来た証拠として貼っていくのでしょうが、昨今問題になっている世界遺産などへの落書きと大差がないような気がするのですが・・・貼ることを禁止している寺もありますし、そこまでしなくても貼る場所を限定した方が良いと思います。

006_2 二番・真福寺は四萬部寺から2.1kmのところにあります。2.1kmというと大した距離ではありませんが、全体の三分の二が急坂なので、最後は汗だくで息も絶え絶えでした。今回はボディーガードとして旦那が同行したのですが、どんどん先に行かれ、着いて行くのが大変でした。山道でなければ一人で行ったのですが、一番から二番は人通りがなさそうな林道だったので、一緒に行ってもらったのです。「女」として襲われる可能性は低くても、金目当てで襲われることはありうる・・・それに最近は「ただ人を殺したかった」などという輩もいるので、いくらオバサンといえども、人気のない所は危険です。

やっとの思いで辿り着いた真福寺は山の中にある無人の寺で、四萬部寺よりもさらに荒れた感じがしました。しかし、参道や境内に植えられた紅梅がそろそろ見頃の時期で、小鳥のさえずりを聞きながらホッと一息できました。

続きを読む "秩父札所巡り"

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2008年8月14日 (木)

函館の旅 その2

034 函館山の山麓にあたる元町は坂の多い地区です。この地区は教会や洋館が多く、坂の上から見る景色も素晴らしく、異国情緒漂う港町・函館を満喫できる所です。映画やドラマのロケ地としても有名です。

上の写真は八幡坂です。遠方の函館湾に見える船は青函連絡船として運行していた摩周丸で、現在は記念館として内部を公開しています。

八幡坂は数々の映画・ドラマに登場しているようです。私個人的には、以前レンタルして観た映画「霧の子午線」の中で、見たような気がします。この映画で岩下志麻さん演ずる鳥飼希代子の高校生の息子・光夫役を山本耕史さんが演じており、光夫と同級生がこの坂を歩いていたような・・・曖昧な記憶なので間違っているかもしれません。

040 坂を登り、最初に訪れたのは函館ハリストス正教会、屋根に青銅色のキューポラが乗ったロシア風ビザンチン様式の教会です。こちらは映画「海猫」で、伊東美咲さん演ずる薫が夫・邦一(佐藤浩市さん)の弟・広次(仲村トオルさん)と訪れた教会です。

042 正面の庭に様々な色のバラが咲き、教会の白壁に映えていました。

049 カトリック元町教会を見学した後、左の旧函館区公会堂へ。コロニアル様式の洋館で、国の重要文化財に指定されています。

075 公会堂の中にあるハイカラ衣裳館でドレスをレンタルしています。髪のセット付きで2000円です。写真はドレスを着た娘です。本当は私も着てみたかったのですが、娘にバカにされそうなので我慢しました。しかし、明らかに私よりも年上と思われるオバサマが、ショッキングピンクのドレスを着て出てきたのには驚きました。

公会堂そばのアイスクリーム店の店頭に、この店を訪れた有名人の写真が貼ってありました。その中に「霧の子午線」ロケ時に立ち寄ったものと思われる、まだ少年っぽさが残る耕史さんの写真もありました。

084 ロープウェイに乗って函館山頂へ。右に津軽海峡、左に函館湾、中央に市街地が広がっています。函館山から見る夜景はナポリ、香港と並ぶ世界三大夜景と称されています。宝石を散りばめたような美しさは感動ものだそうで、是非とも見たいのですが、今日の宿は郊外の湯の川温泉。夜景を見てから宿に行くと食事が遅くなるので、いったん宿に行き、余裕があったらまた来ることにしました。

十字街から市電に乗り、途中の函館駅前でコインロッカーに預けてあった荷物を取り、再び市電で湯の川温泉へ。宿に着いたのは6時を過ぎており、1日歩きまわったのでかなり疲れていました。今宵の宿は平成館しおさい亭の個室露天風呂つきの部屋で、夕食後は海を眺めながら露天風呂でリラックス・・・結局、夜景を見に行くのはパスしてしまいました。風呂から見えた函館山と山麓に広がる街の夜景も充分美しかったです。

8月9日(土)

061 昨日は海にガスが懸かっていましたが、今日は朝からすっきりと晴れています。左は露天風呂から撮った写真ですが、対岸に見えるのは下北半島の先端・大間あたりでしょう。

大間といえば「私の青空」の舞台、なずなとの結婚式の最中に千代子と逃げてしまった健人。二人は函館行きのフェリーに飛び乗り、白無垢姿で追いかけたなずなは置き去りに・・・健人はいけない男。しかし、健人には「ゴンゾウ」の佐久間のような複雑さはなく、結構単純なスポーツバカでしたね。佐久間より健人のほうが扱いやすい、かな?

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湯の川温泉から市電で五稜郭公園前へ。そこから徒歩10分程で五稜郭タワーへ到着。右はタワー頂上から見た五稜郭公園ですが、広いのでマイ安物デジカメでは全景が写りませんでした。

公園の中央部分に見える大きな屋根の中では、歳三が榎本武揚らと共に旧幕府軍最期の砦としていた函館奉行所の復元工事が行わています。

101 市電で函館駅前に行き、摩周丸を見学。天気が良かったのでデッキも開放されていました。左はデッキから見た函館山方面。麓に八幡坂も見えています。

朝市でおみやげを買い、函館空港へ。羽田までのフライト時間は1時間15分ほど、あっという間に到着です。函館から羽田までよりも、羽田から自宅までの方が時間がかかりました。

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2008年8月13日 (水)

函館の旅 その1

8月7日(木)

今回の旅も娘と二人旅です。目的地は北海道の道南、その中でも函館と大沼公園だけです。行きは適当な時間帯の飛行機が予約できず、東北新幹線「はやて」で八戸まで行き、「スーパー白鳥」に乗換え、青函トンネルを通って函館へ向いました。自宅を出たのが5時45分で、函館到着は13時14分。函館までならば電車でも問題ないでしょう。札幌は函館から乗り継いで、さらに3時間半かかりますので、到着は夕方。丸々一日電車移動になるので、きついかもしれません。

函館朝市どんぶり横丁で遅めの昼食。電車の中で少し食べていたので、こぶりの三色丼を戴きました。朝市なので、もちろん朝の方が活気があって賑わっていますが、昼過ぎまで営業している店もあります。

006_2 駅に戻り、函館本線の普通電車に乗り40分程で大沼公園へ。右は大沼・小沼を巡る遊覧船から見た駒ケ岳です。この日は函館大沼プリンスホテルに宿泊。温泉のあるホテルでゆったりくつろげました。

014_2 地ビールの大沼ビールはくせのないの飲み口で美味しかったです。

8月8日(金)

017_2 大沼公園から普通電車で函館へ。早く出発したので9時には函館に到着。最初に向ったのは駅から徒歩5分ほどの場所にある土方歳三最期の地碑です。

歳三が最期を遂げた場所がこのあたりと言われています。「新選組!!土方歳三最期の一日」で、山本耕史さん演ずる歳三が、馬上で敵の銃弾を受けたにもかかわらず、最後の力を振り絞り、鬼気迫る形相で敵に向っていく姿を思い出します。全国から多くの歳三ファンが訪れるようで、私たちの前にも大学生風の一人旅の男の子が遺影に手を合わせていました。北の大地に今も眠る歳三・・・安らかに・・・

019_2 函館駅前に戻り、市電で終点の谷地頭へ。乗った市電には歳三の顔が描かれていました。ここから徒歩15分ほどで碧血碑へ。

021_4 碧血碑は箱館戦争で亡くなった旧幕府軍戦死者800名余を悼むために、榎本武揚が明治8年に設立したものです。碧血という言葉は「義に殉じた武人の血は3年経つと碧くなる」という中国の故事に由来するそうです。

026_2 碧血碑から山の中の道を15分ほど歩き、立待岬へ。あいにくの曇り空で津軽海峡の向こうに本州は望めず。今度は海沿いの道を通って谷地頭へ。途中に石川啄木一族の墓がありました。谷地頭から市電に乗り十字街で下車し、ベイエリアへ。

080_3 ベイエリアには洒落た赤レンガの建物が並んでおり、観光客で賑わう人気の場所です。街灯に飾られた花も素敵です。綺麗な状態を保つためには、日々の手入れも大変でしょう。

赤レンガの建物のひとつ「BAYはこだて」の中のレストランで昼食をとり、金森洋物館などのショップを見てまわりました。その後、元町地区へ向いました。続きは後日。

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2008年4月 4日 (金)

春の大和路 その3

074

西ノ京では駅から徒歩2分の場所にある薬師寺を最初に訪ねました。国宝の東塔は白鳳様式を残す創建時代の建物です。各階に裳階(もこし)が付いているので六重に見えますが、三重の塔です。

金堂の中には国宝の薬師三尊像(薬師如来、日光菩薩、月光菩薩)がいらっしゃいますが、日光・月光菩薩は東京に出張中で、等身大のパネルが置かれていました。詳しくはこちらでどうぞ。

玄奘三蔵院伽藍・大唐西域壁画殿では平山郁夫画伯が30年の歳月をかけて完成させた雄大な壁画が見られました。

076 薬師寺から唐招提寺を目指して歩いていると、前方にクレーン車が見えてきました。ただ今修理中の唐招提寺金堂です。一部を除き、鉄筋の足場で囲われた天平建築物は、選ばれた宮大工たちの確かな腕によって、来年には美しく甦ることでしょう。

080_2 天平の時代、大海原を舟で渡ることは、現代のスペースシャトルで宇宙に行くことよりも困難を伴う旅でした。戒律を伝えるため、艱難辛苦を乗り越えて日本にやってきた鑑真和上は、6年をこの地で過ごしたあと、76歳で遷化しました。右上写真奥の御廟に眠っています。

081 唐招提寺をあとに、線路を右手に見ながらのどかな田園の道を歩き、左写真の垂仁天皇陵を通り過ぎ、交通量の多い道を渡って喜光寺へ。こちらをさらっと見学して尼ヶ辻駅から近鉄橿原線に乗り、大和西大寺へ向いました。

二日続けて、かなりの距離を歩いたので、さすがに疲れていました。喫茶店で甘いものを食べて元気を取り戻し、平城宮跡へ。ここはとにかく広いので全部を周るのは諦め、平城宮跡資料館だけを見学することにしました。しかし、気力体力ともに限界点に達しており、せっかくの展示物の説明を読む気にならず。もう少しゆとりあるスケジュールにすれば良かったなと反省・・・

3月30日(日)

066_3雨模様の寒空の中、朝一で再び興福寺国宝館へ。この時間は人が少ないのでじっくりと見学できます。旧山田寺仏頭と阿修羅像に別れを告げ、県庁横の道を北上。右手に見えるのは東大寺転害門です。この門の奥に正倉院があります。ここから西へ折れ、古い町並みの中をしばらく歩いて再び南下し、近鉄奈良駅に戻りました。京都に着いたころは雨が本降りになっていたので、駅ビル周辺で時間をつぶし、夕方の新幹線で帰路につきました。

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2008年4月 2日 (水)

春の大和路 その2

3月29日(土)

054_2 今日は斑鳩・西ノ京を巡ります。JR奈良駅から関西本線(大和路線)で法隆寺駅へ。駅から徒歩20分ほどで法隆寺に到着しました。

法隆寺は用明天皇の遺志を継いで、聖徳太子と推古天皇が創建した古刹です。世界最古の木造建築群を持ち、日本で初めて世界文化遺産に登録されました。

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中門の右に立つ阿形、左に立つ吽形は奈良時代に造られたもので、現存最古の仁王像です。

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飛鳥時代に造られた我が国最古の五重塔は、細かい部分にまで彫刻が施されています。右は1階部分の屋根の梁を支えている鬼(?)です。頭で4階分の重量を支えているその姿は、健気でありながらユーモラスでもあります。

060 ご本尊を安置する金堂(飛鳥時代)の柱には龍や獅子の姿が見えます。

067 東院の枝垂桜は見頃でした。が、根元近くにある黄色い枠の蓋が興ざめ・・・

1400年超の時を経て、この地に存在する建築物を目の前に、しばし悠久のロマンに浸りました。それに比べて、人の一生はほんの一時の儚いもの・・・

この日は真冬並みの気温。法隆寺の広大な敷地は風の通り道になっているのか、とにかく寒かったです。近くにある中宮寺や法起寺も観るつもりだったのですが、寒さに負けて断念。次の目的地・西ノ京を目指し、駅に戻りました。

近鉄橿原線・西ノ京駅に行くために、まずはJRで大和郡山へ行き、そこから徒歩10分ほどの近鉄郡山駅に向います。

071 地図を見ながら歩いていると、風情のある町並みの中に「箱本館・紺屋」という建物がありました。こちらは江戸時代からの藍染商・旧奥野家を使った藍染資料館で、藍染の他に当地の特産品である金魚が水槽に飾られていました。

073 近鉄郡山駅に到着。隣の駅名をご覧ください。これを写して喜んでいるのは日本中で私ぐらいでしょう。昨年9月の記事「ルーツを探る」に書きましたように、大和郡山は「筒井」には縁が深い地なのです。郡山城跡の桜を車窓から眺め、西ノ京駅に到着しました。

続きは「その3」で。

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2008年4月 1日 (火)

春の大和路 その1

3月28日(金)

001_2 品川駅6時47分発の新幹線に乗り、京都を経由して奈良に10時頃に到着。最初に訪れた興福寺では、東金堂、国宝館を見学しました。こちらの国宝館は阿修羅像が有名ですが、私は旧山田寺仏頭の凛々しい顔立ちにひとめ惚れ・・・ただし興福寺のHPに載っている写真はイマイチです。本物はもっと気品がある優しいお顔です。特に左斜めから観ると素敵! この仏頭については後日また詳しく書きます。

008_2奈良公園のソメイヨシノは三分咲きほどでしたが、氷室神社の枝垂桜はちょうど見頃でした。こちらの神社はハクモクレンや桃の花も満開で、まさに春爛漫。

015 左右に有名な運慶・快慶作の金剛力士像がある南大門をくぐり、東大寺へ。

017 桜の奥に見えるのが世界最大級の木造建築物・金堂(大仏殿)です。

034_2奈良公園内の鹿は約1200頭。年間200~300頭が生まれ、ほぼ同数が死んでいるそうです。

033_5 027_5 お水取りで有名な二月堂は、大仏殿よりも高い場所に位置し、奈良の町並みが見渡せます。後方に見える大きな屋根が大仏殿です。

036_2 東大寺二月堂をあとにし、若草山を左手に見ながら歩き、春日大社へ到着しました。境内は木々が鬱蒼と繁り、幹に絡み付く豪快なヤマフジに見とれてしまいました。花が咲くゴールデンウィークあたりにもう一度訪れてみたいものです。

039_2 春日大社から興福寺方向へ戻る道でひときわ目立つのが、明治35年築の旧奈良県物産陳列所の建物です。和洋折衷のデザインで、窓にはイスラム風の意匠も見られます。奈良公園の景観に合ったこの建物は、国の重要文化財に指定されています。

016 古い町並みが残る奈良町をぬけ、白毫寺を目指します。左は途中の道端で見つけた見事なミモザアカシアの木です。

040_5  白毫寺は樹齢400年以上の五色椿が有名なお寺です。高円山の中腹に位置するので、石段を登った門あたりから見られる景色は一見の価値ありです。

047 正直なところ、五色椿は期待していたほどのものではありませんでした。

051 のどかな田園風景の中を歩き、新薬師寺に着きました。かつては広大な規模の寺でしたが、落雷・台風・兵火などの災難が続き、現在は本堂だけが天平時代唯一の建物として残っています。本堂の中の十二神将立像は一体を除いて国宝に指定されています。十二神将はなかなか見ごたえがあります。自分の干支の神将に、お守りくださるようにお祈りいたしました。

ここまでかなりの距離を歩き、さすがに疲れました。バス通りまで歩き、そこからバスに乗って近鉄奈良駅前まで行き、ホテルに向いました。

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2008年2月22日 (金)

「ルーヴル展」と湯島散策

友人Mさんと東京都美術館で開催中の「ルーヴル美術館展」に行って来ました。今回の展覧会では、ルイ15世の寵愛を受けたポンパドゥール夫人やルイ16世の妃マリー・アントワネットが宮廷で使用していた品々などが展示されています。

繊細な金銀細工を施された品々は、時を経た今も眩く輝いています。パンフレットに写真が使われている「ダイヤモンドを象嵌した飾り武器模様の嗅ぎ煙草入れ」は4色の金(白・黄・緑・薔薇色)、ダイヤモンド、緑石が使用された彫金細工です。ダイヤモンドの輝きもさることながら、微妙に色合いの違う4色の金を使っていることに驚嘆しました。白金や黄金は知っていますが、緑や薔薇色の金があることは知りませんでした。

マリー・アントワネットの品の中に、日本製漆器を使った「あずまや形蒔絵置物」「蒔絵香入れ」「蒔絵水差し」がありました。黒い漆器を使った品は、キンキラキンやギンギラギンばかりの中で、落ち着いた存在感を示していました。

映画「マリー・アントワネット」は昨年公開されています。

私たちが美術館に着いたときはさほど混雑していませんでしたが、観終わって外に出た11時過ぎには、入場制限されていました。ゆっくり観るためには早めに出かけたほうが良いでしょう。

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ルーヴルのあとは白梅を観に、湯島天神へ向いました。不忍池を横目に見ながらゆっくり歩いて15分ほどの距離です。境内では梅祭りが開催されていましたが、肝心の梅の花の開花はイマイチ・・・合格祈願の絵馬が枝垂れ梅のように掛けられていました。

お昼は湯島天神裏の「てんぷら天庄」で天丼(しじみ椀付きで1350円)をいただきました。

028 昼食後、「旧岩崎邸庭園」に行きました。ただいま、洋館の外装工事中ですが、中を見学することはできます。洋館は三菱創設者の岩崎家本邸で、明治期の上層階級の邸宅を代表する西洋木造建築です。建物の造りももちろん素晴らしかったのですが、私は各所に置かれている活け花に目を奪われました。すべて生花です。

022 窓辺のコーナーにはシンビジュームなどとともに大きな蕾のついた枝が活けてありました。蕾の感じからするとコブシかハクモクレン(玉蘭)ではないかと思います。

026 正面玄関には桜をメインにした活け花がありました。薄暗い室内で撮影したために、写りが良くないのが残念です。

他にも数箇所に季節の花が飾られていました。

027 別棟の撞球室(ビリヤード場)です。スイスの山小屋を思わせる造りで、洋館とは地下道でつながっているそうです。

ここから本郷三丁目まで歩き、地下鉄丸の内線に乗って帰路につきました。

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2008年2月20日 (水)

「篤姫展」と大川散策

011 昨日(2月19日)、江戸東京博物館で開催されている「天璋院篤姫展」を観に行ってきました。江戸東京博物館があるのは両国。右の写真奥に見える橋は隅田川にかかる両国橋です。

両国という地名の由来は武蔵国と下総国に跨る所ということだそうです。かつては隅田川が武蔵国と下総国の国境で、現在の葛飾区や江戸川区などは下総国に属していました。

明暦の大火(1657年)で江戸の大半が焼失した折、川に阻られ多数の死傷者を出しました。これを機に万治2年(1659年)、千住大橋に次ぐ隅田川に架かる二番目の橋として両国橋が造られました。橋ができたことにより、人の行き来が多くなり、川向こうも栄え、江戸(武蔵国)に組み込まれるようになったのです。

前置きが長くなりました。肝心の「篤姫展」ですが、篤姫に関係した品々が展示されて、興味を引かれるものが多々ありました。展示物には自筆の文もありましたが、昔の方の達筆には改めて感服いたしました。篤姫の筆は、風に撓る「なよ竹」のように繊細で優雅なもので、失礼ながら顔に似合わない・・・写真や絵に描かれた天璋院の顔は、少し品を良くした「奈良の騒音オバサン」のような・・・失礼いたしました。

大河ドラマ「篤姫」を観る上では参考になることが多い展覧会ですが、企画展の規模で比較すると、東京国立博物館で昨秋開催された「大徳川展」にはほど遠いものです。「大徳川展」を観た人が観に行くと少し拍子抜けするかもしれません。もちろん、「篤姫展」でなければ観られない品もありますが、「大徳川展」で展示されていたものもありました。「孝明天皇宸筆『徳川家茂宛』」は「大徳川展」で見たことをよく覚えています。詳しくはこちらでどうぞ。

江戸東京博物館を出て、両国駅の反対側を進みます。せっかく両国に来たのですから隅田川(大川)の写真を撮りたかったのです。そして、大川といえば「大川わたり」・・・

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2007年11月18日 (日)

子の権現・竹寺ハイキング

007 昨日、奥武蔵の山を旦那と二人で歩いてきました。西武秩父線・吾野駅から子の権現(ねのごんげん)、竹寺を通って、小殿バス停に出るコースです。総距離約9km、標高差約470m、標準歩行時間約3時間です。

上の写真は子の権現手前からの眺望です。向って見えるのは顔振峠からユガテ付近です。紅葉の見頃にはまだ少し早かったようです。

005 湿った所にツリフネソウ(ツリフネソウ科)が咲いていました。

先日の「探検ロマン・世界遺産」で放送された「花の谷」の草原に咲いていた花と同じ仲間の花です。

002 右はフユイチゴ(バラ科)です。高さ20~30cmの常緑低木で、晩秋から冬に赤く熟した実は食べられるそうです。

006 ちょっと毒々しい赤い実はマムシグサ(サトイモ科)の実です。茎の色がマムシに似ているのでこの名が付きました。春に咲く花は赤茶色の大きな苞に包まれています。

008_2 子の権現(標高640m)に到着しました。

012

子の権現は911年に創建された古刹で、足腰守護の神様を祀っているとのことで、境内には鉄製の大草鞋があります。

021 豆口峠を過ぎ、竹寺(標高490m)に到着。竹寺は神仏混交の寺で、その名の由来の竹林が有名ですが、境内の花や紅葉も美しい古刹です。

015 右は境内にあったマユミ(ニシキギ科)の実です。

019 左も境内に咲いていたアワコガネギク(キク科)です。

竹寺から小殿バス停までは杉林の急な下り坂です。杉の根っこと石ころが混在した歩きにくい道でした。疲れも溜まっていたので3回も尻餅をついてしました。

このあたりの杉は西川材と呼ばれ、江戸時代には伐りだした木材を筏にして入間川から荒川を通って江戸へ流送していました。「江戸の西の方から来る材」という意味で「西川材」とよばれたそうです。これだけ杉の木が多いのですから、春先は大量の花粉を飛散させることでしょう。

小殿バス停からバスに乗らず、さわらびの湯まで歩きました。汗だくで疲れていたので風呂に入りたかったのですが、着替えも何も持ってこなかったので、手前にある手打ちうどんの店で遅い昼食をとりました。

024_2 さわらびの湯に向う道沿いに冬桜が咲いていました。

023 春の桜のような木全体の豪華さはありませんが、アップで観ると個々の花はなかなか華やかなものですね。

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2007年11月 8日 (木)

小平・花小金井を歩く

ロケ地巡りを兼ねて、小平・花小金井を歩きました。この地を歩こうと思い立ったきっかけは先日購入した「おれきみ」DVDのメイキングを観たことです。

西武新宿線・小平駅から出発。線路に並行している多摩湖自転車道を歩きました。20分ほどで「小平ふるさと村」に到着しました。「小平ふるさと村」は、小平市が市内にあった文化的価値のある4棟の建物を移築復元した場所です。

007

右は旧小平小川郵便局舎です。現存する郵便局舎の中でも古いもののひとつであり、明治末期から昭和期にかけての郵便局の様子を知ることができます。この建物は「おれきみ」のロケに使われました。隊員から預かった手紙を投函しようとしたトメさんが憲兵に捕えられた場所です。ここに岸惠子さんがいらっしゃたのですね。

003_2 左は旧神山家住宅主屋です。江戸時代中期から後期にかけての武蔵野新田農家の姿と移り変わりを示す建物です。軒先に吊るされた干し柿が秋の日射しに輝いていました。

「小平ふるさと村」から20分ほど多摩湖自転車道を歩き、小金井街道と交差したところで南下してさらに20分ほどで都立小金井公園に到着しました。小金井公園の一角に江戸東京たてもの園があります。

009 右は天明家(農家)で、江戸時代に鵜ノ木村(現在の大田区内)で名主役を勤めた旧家です。「おれきみ」で大島伍長の祖父役・長門裕之さんがイモ飴を作っていたのは、おそらくこの建物だと思います。

中西の妻となった一枝の家も園内にあるはずなのですが、どの建物なのかはっきり分かりませんでした。

013 左は下町の風景を復元したゾーンです。この一角はドラマのロケによく使われています。朝ドラ「純情きらり」でも岡崎の町並みとして使われていました。

017 私が撮った写真ではとても当時のイメージが湧いてきません。ドラマでは当時の服装をした人たちが歩いており、昭和初期の風景そのものでした。

018 屋根の上が欠けてしまったヘタクソな写真ですが、こちらは足立区千住元町にあった子宝湯です。神社仏閣を思わせる贅をつくした造りになっています。アニメ映画「千と千尋の神隠し」で湯屋「油屋」のモデルになったのがこの子宝湯だということです。

園内には高橋是清邸もあります。2・26事件の現場になった、是清が使っていた2階の書斎や寝室も見学できます。

小金井公園から元の道を戻り、多摩湖自転車道と交差した所から2分ほどで花小金井駅南口に到着しました。多摩湖自転車道は木々や草花が多く、おしゃれな店も何件かあり、散歩道としてなかなか良いところでした。

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2007年10月29日 (月)

桜田門から竹橋を歩く

001_2 台風一過の好天に恵まれた日曜日、母娘で東京の中心部を歩きました。地下鉄・桜田門駅からスタートです。永田町といえば国会、桜田門といえば警視庁です。警視庁舎は地下鉄4番出口の目の前にそびえたっていました。「相棒」の右京さんと薫ちゃんが登場しそうです。

002 警視庁の向かい側にある赤レンガ造りの建物は法務省旧本館です。建造されたのは明治28年で、国の重要文化財に指定されています。

江戸時代、このあたりに米沢・上杉家の上屋敷がありました。上杉鷹山さんもお住まいになっていた所だと思うと、何か感慨深いものがあります。

009

国会正門方面に向って少し歩くと、内堀通りの歩道端に「井伊掃部頭邸跡」があります。1860年3月3日、大老・井伊直弼は屋敷を出て登城途中、桜田門外で水戸浪士たちに襲われ暗殺されました。

011 左写真中央に見える桜田門は1663年に建立され、大名登城の表玄関として使われていました。国の重要文化財に指定されています。

028 桜田門をくぐり、お堀に沿って歩いていくと正面に楠正成の銅像があります。これは住友家の依頼によって高村光雲など東京美術学校職員が造りあげ、明治37年に献納されたものです。

お堀に沿って歩き続けます。皇居外苑は外国人観光客や、はとバスなどの観光バスツアーの方が多く見られます。二重橋前を過ぎ、和田倉門の手前に着きました。

030 奥に見えるのは大正3年に造られた赤レンガ造りの東京駅です。皇居前から東京駅に続くイチョウ並木はだいぶ色づいていました。あまり好ましくない銀杏の匂いが漂っていました。

029 左写真の茶色いビルは東京海上日動ビルで、その後方のビルが新丸ビルです。新丸ビルの内装はモノトーンを基調にした落ち着いたもので、洗練された大人のイメージがあります。レストランで昼食をとろうと思ったのですが、お目当ての店は行列ができており断念。地下で弁当を買い、公園で食べることにしました。目的地は和田倉噴水公園です。

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2007年8月20日 (月)

霧ヶ峰から諏訪湖へ

056 ヤナギラン、ツリガネニンジンが咲く高原の道は怖くなるほど静寂でした。しかし、終点・霧ヶ峰インターチェンジに到着すると、その様子は一変しました。

ここにはレストランやみやげ店があり、マイカーや大型観光バスでやってきた人たちで溢れています。

069 「霧ヶ峰ビーナス」でかりんソフトクリームを食べました。かりんのエキスが入っているというソフトクリームですが、味は普通のソフトクリームとさほど変わらなかったような・・・

073 霧ヶ峰インターチェンジからバスで上諏訪駅へ。下界はうだるような暑さでしたが、遊覧船に乗ると少しだけ涼しくなりました。

諏訪湖といえば朝ドラ「かりん」のクラス対抗ボート大会を思い出します。と言っても再放送を観始めたのが遅い私には、映像での記憶はありません。単行本「かりん」を上下巻購入して読んだのです。

・・・優勝した3組の主将・田上渉に向かってマーガレットの花束を投げた。花束はボートまで届かなかったが、渉はジャンプして花束に飛び付いた。そして辛うじて花束を摑むと勢い余って水中に飛び込んだ。一瞬、渉の姿が湖中に消え、次の瞬間、右手に高々とマーガレットの花束をもって飛び魚のように湖中から跳ねた。千晶には渉の笑顔が最高に思えた。・・・

094_2 左は湖畔にある間欠泉です。1日に約5回、高さ20mもの間欠泉が噴出するのです。間欠泉に隣接して足湯もあるので旅の疲れを癒すのに良いでしょう。ただし足湯は外にあるので、夏は暑いです。

間欠泉の向いにタケヤ味噌の工場と味噌会館があります。ここに行けば「かりん」のポスターぐらい見られるかしら、と思ったのですが・・・残念なことにお休みでした。

今、諏訪の町は「風林火山」由布姫の出身地として観光客にアピールしており、「かりん」の名残はどこにも見当たりませんでした。14年も前のドラマですから仕方ないですね。

103 上諏訪駅構内にある足湯は、諏訪湖祭湖上花火大会による混雑のため、この日の午後は使えなくなっていました。帰る前、足湯に浸かろうと思っていたのに・・・

おみやげは味噌でなく日本酒です。諏訪には数多くの酒蔵があります。私は麗人酒造で購入いたしました。

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2007年5月27日 (日)

雑司が谷を歩く

学生のころ、結構勉強したり本を読んだりしていたのですが、ずっと視力1.5を保っていました。しかし年齢には勝てません。とうとう遠視&乱視の眼鏡が必要になってしまいました。

先日頼んでいた眼鏡ができたので、池袋の某眼鏡チェーン店に取りに行きました。その眼鏡店の隣は某大手書店なので、眼鏡のあとは書店雑誌コーナーへ・・・本日発売の「BICYCLE   NAVI」に筒井さんが載っているというので、早速立ち読みいたしました。山暮らしに憧れているという筒井さん・・・私と一緒じゃないですか。バーベキューをしている筒井さん、とても楽しそうですね。しかし、この雑誌は値段が結構高いので今日は立ち読みだけにしておきました。買ったとしても筒井さんが載っているページ以外は読まないと思うので・・・

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眼鏡店の脇の道を南に進むと豊島区雑司が谷です。右の写真は大鳥神社近くで撮った都電荒川線の電車です。後方が東池袋です。

私はなぜ都電荒川線の写真を撮ったのでしょうか? 分かる人は分かる(あたりまえです) 「百年の恋」第4話で、海外出張から帰国した梨香ちゃんと出迎える真ちゃんが再会を抱き合って喜ぶシーンが都電荒川線の踏み切りでした。背景に木が映っていたのは覚えていたので、あのシーンはこの踏み切りかな?と思ったのですが・・・ウチに帰ってからビデオで確認にしましたが、違いました・・・あのシーンの踏み切りはもっと狭いし、背景のビルも違います。いったいどこなのでしょう? 学習院下か面影橋あたりなのでしょうか?

012_2 真ちゃんが住んでいた「かえで荘」は取り壊し前のアパートだったようですが、再開発が進んでいる雑司が谷から東池袋のこのあたりにあったのでしょうか? つけ麺で有名なラーメン店も再開発のために閉店になりました。

005_3

追記

「雑司が谷を歩く」というタイトルでありながら、あまりにも大雑把な記事だったので追加いたしました。

右は鬼子母神です。入谷にも鬼子母神はありますが、雑司が谷の鬼子母神は「すすきみみずく」で有名です。

003_1 境内には樹齢600年という立派なイチョウの木がありました。このイチョウが芽吹いたのは室町時代ということになります。現在に至るまでには、幾多の戦禍や天災を乗り越えてきたことでしょう。どっしりと地に根を張っている逞しい姿を見ると、日々自分が悩んでいることがちっぽけで馬鹿馬鹿しいことに思えてきます。

雑司が谷霊園にも足を運びました。この霊園には数々の有名人の墓があります。竹久夢二、泉鏡花、島村抱月の墓は分かりましたが、夏目漱石の墓は見つけられませんでした。

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2007年3月31日 (土)

京都・大阪の旅 その4

061 3月24日(土)続き

京都駅の伊勢丹でおみやげを買い、大阪に向かいました。近鉄京都線に乗り、丹波橋で京阪本線に乗り換え京橋駅で下車。いったん今夜泊まるホテルがある大阪城公園へ行き、荷物を預かってもらいました。

水の都・大阪を体験するために、水上バスに乗りました。乗船したのは大阪城公園から淀屋橋までだったので時間は20分ほどでしたが、船上から大阪の街の眺めを楽しめました。

065 淀屋橋からベイエリアに向かいました。ベイエリアといってもUSJ(ユニバーサルスタジオジャパン)ではなく、目的地は安治川の対岸にある天保山です。

なんで天保山?と思われるかもしれませんが、容保公が徳川慶喜に無理やり乗せられた、開陽丸が出航したところが天保山沖だったのです。

写真は大観覧車から見た風景で、橋脚の下の木があるあたりが天保山です。天保山は標高4.53mの日本一低い山(?)だそうです。

観覧車のあとは海遊館という水族館を見学しました。久しぶりの水族館では、大きな水槽を泳ぐ魚たちや愛くるしいペンギンに癒されました。

085 ベイエリアから再び地下鉄に乗って、通天閣へ向かいました。夕方5時半を過ぎていたので、そろそろお腹がすいてきました。通天閣前のこのお店に吸い寄せらました。

086 串かつの有名店で、店の前には行列ができていました。普段は行列に並ぶのは苦手なのですが、せっかく大阪に来たのですから頑張って並びました。まだ早い時間だったので30分ほどで席があきました。

元祖串かつ、つくね、鳥皮、砂肝、たこ、うずら、もちetcほとんどが1本105円です。どれも美味しかったのですが、個人的には塩で食べる鳥皮、砂肝、もちがお勧めです。ざく切りのキャベツが口直しになります。「ソース2度づけ禁止」の張り紙は有名ですね。

089 3月25日(日)

ホテルのバイキング朝食はとても美味しかったです。とくに焼きたてパンはもっと食べたかったです。

ホテルから歩いて、大阪城天守閣に行きました。この天守閣は昭和になってから再建された鉄筋コンクリート造りなので文化的価値はありませんが、容保公や新選組の隊士が滞在した同じ場所だと思うと感慨深いものがあります。

092 旅の最後に向かったのは道頓堀です。テレビによく映る大きなカニやくいだおれ人形を初めて見ました。

093 橋の上ではグリコの看板をバックに、デジカメや携帯で記念撮影をしている人たちがたくさんいました。

095 阪神が優勝したときには飛び込んだ人たちがいましたね。ここから見る風景は原色ド派手で、これぞ大阪(?)といった感じです。

午後、新大阪から新幹線に乗り帰路へ着きました。

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2007年3月30日 (金)

京都・大阪の旅 その3

3月24日(土)

天気予報では雨。午後には雷が鳴り風も強くなるとのことなので、午前中に回れるだけ回ってしまおうと意気込んでいました。8時半にホテルを出てバスで京都駅へ、コインロッカーに荷物を預けて出発です。

039_2 駅前の大きな通り(塩小路通)を西に進み、堀川通の1本手前の細い通りに入りました。この通りが油小路通です。新選組から分派して御陵衛士となった伊東甲子太郎が斬殺された場所です。谷原章介さんの顔が思い浮かびます。

046 堀川通に出ると西本願寺が見えてきました。壬生の屯所が手狭になった新選組はここに新しい屯所を置きました。新選組が使っていた建物で現在も残っているものはわずかです。左の建物・太鼓楼は当時のまま残されていました。

048 太鼓楼の角を左に入り、大宮通を越えて狭い通りをしばらく歩くと門が見えてきます。これが島原大門です。この門をくぐるとかつては華やかな遊郭が立ち並んでいたのでしょう。今では昔の面影を残す古い建物と、コンクリート造りの建物が混在する町並みです。

049 左は置屋だった輪違屋です。浅田次郎さんの「輪違屋糸里」は未読ですが、糸里は土方歳三が愛した女性の一人のようですね。今夏「輪違屋糸里」はドラマとして放送されるようです。

051 右は揚屋(今の料亭)だった角屋です。薩長の志士や新選組の隊士が出入りしていたところです。

058 丹波口駅の線路脇の道を進み、七条通に出たところで東に向い、七条大宮で大宮通を南下します。JRや新幹線の線路を過ぎてしばらく行くと五重塔が見えてきました。東寺(教王護国寺)です。

空海(弘法大師)が造営した歴史ある寺で、世界遺産条約に登録されています。1200年の歴史ですから、幕末からの150年とは比べものになりませんね。春の特別拝観期間だったので、宝物館で平安時代の密教工芸品を見ることができました。

午前中は曇天ながら雨に降られずにすみました。このあと京都駅に戻りました。続きは次回。

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2007年3月28日 (水)

京都・大阪の旅 その2

023_1 3月23日 続き

京阪・丸太町駅で下車、東に向かって歩きました。京都大学医学部付属病院を過ぎてしばらく行くと、聖護院が見えてきます。聖護院というと聖護院大根や聖護院八橋が思い浮かぶ私はやはり食いしん坊? 

さらに東に進み、左に曲がると大きな山門が見えました。こちらが会津本陣の置かれていた金戒光明寺です。

027_1 黒谷と言われているように寺の建物は谷部分に位置し、後方の山に墓地があります。その一番奥に会津藩殉職者墓地がありました。容保公の墓は会津にありますが、容保公の写真が飾られている大きな碑に、新しい花が飾られていました。

こちらのお寺では京都守護職膳という昼食も食べられるようです。(ただし15人以上で要予約) メニューに芹鴨鍋があるのは面白いです。筒井さんが浩市さんを食べてしまう・・・

033_2 甘味処でひと休みし、哲学の道を北上しました。桜が咲いていたらさぞかし美しい風景だったことでしょう。桜の根元のミツマタが黄色い花を咲かせていました。

035_1 銀閣寺に到着したころには、かなり疲れていました。伏見で歩き回り、黒谷から哲学の道を進んできたのですから、半日で相当の距離を歩いたと思います。

038_2 右は銀閣寺の庭に植えられていた椿です。「日光(じっこう)」と札に書いてありました。あまり見かけない珍しい椿ですね。

この日の見学はここまで。疲れたのでタクシーに乗って四条に戻り、デパ地下で弁当+飲み物(私は当然アルコール飲料)を買ってホテルへ帰りました。

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2007年3月26日 (月)

京都・大阪の旅 その1

_005_10 3月23日(金)

昼前に京都駅に到着。駅構内で昼食を取り、近鉄京都線で伏見方面へ向かいました。桃山御陵駅で下車し、道幅の狭い商店街を歩き、目指すは寺田屋です。

途中キザクラカッパカントリー近くの川岸で、芽吹きの柳の美しさに見とれました。まるで萌黄色のベールをかけているようです。絵画になる風景ですね。実際に写生をしている人たちもいました。後方に見える大きな屋根は月桂冠の蔵です。

_006_9 左が寺田屋です。現在も宿として営業中とのことです。玄関を開けると、幕末当時の女将・登勢が出てきそうな感じがします。もちろん私のイメージは「新選組!」で演じた戸田恵子さんです。_012_8

玄関の表札に「坂本龍馬」と書かれていたのは面白かったです。この家の主人が龍馬のようですね。

_014_6 白壁の酒蔵などの古い建物と新しい建物が混在している町並みは、首都圏でいうと小江戸・川越に似た雰囲気があります。右は月桂冠大倉記念館で、酒造りの道具や工程、昔のポスターや偽造品が展示されています。昭和初期の偽造品「月佳冠」や「日桂冠」は受けました。

今回の旅の目的のひとつは、新選組に関係した所をまわることです。伏見では「鳥羽伏見の戦い」の跡を巡ってみました。_018_3

左は薩摩軍が陣取っていた御香宮神社にある石碑です。作成されたのは昭和36年ですが、石の表面の変色は鳥羽伏見の戦いの戦火で焼けたものです。

_022_2 右は新選組や会津藩兵を含む幕府軍が陣取っていた伏見奉行所跡の石碑です。団地の入り口の何でもないところにひっそりと建っていました。150年ほど前に、この地で凄惨な戦いが合ったことが信じられない平和な風景です。なんでもない石碑ですが、新選組や会津に対する思いが強いので、大きな写真で載せました。

このあとは伏見桃山駅から京阪本線に乗り、京都中心部へ向かいました。容保公に関係したあの場所へ・・・続きは次回にいたします。

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2006年8月30日 (水)

剱崎の海岸を歩く・その2

_009_3 右の花は「ハマユウ」(ヒガンバナ科)です。三浦半島あたりがハマユウの北限地だそうです。この花は剱崎灯台の下の草地にあったのですが、自生ではなく人が植えたものではないかと思います。ヒガンバナ科ということで、確かに花の咲き方がヒガンバナに似ています。

_008_4 左は「ツリガネニンジン」(キキョウ科)です。植物図鑑では「秋の山の草」というページに載っている花です。高原でよく見かける花なのですが、潮風の吹く海岸近くにも生えているのですね。

横須賀に居住していた時、剱崎を訪れたことが一度ありました。そのときは崖にヤマユリが咲いているのを見つけ、こんな海辺にもヤマユリが咲くのかと驚きました。荒海を真下に望む崖地に咲く一輪のヤマユリ・・・以前、筒井半兵衛様のことを表した「山蔭にひっそりと咲く白百合」のような、凛とした佇まいがありました。

ここまで花の話で気持ちが癒された(?)ところですが、このあとは少しばかり変な話になります。

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2006年8月29日 (火)

剱崎の海岸を歩く・その1

_001_4 昨日、剱崎(つるぎさき)付近の海岸を散策してきました。武蔵国西方からお江戸を通り越して、京浜急行・三浦海岸駅に到着。駅前から京急バス・剱崎行きに乗り、終点の一つ手前・松輪で下車し、歩き始めました。

このあたりは、夏はスイカ・カボチャ、冬から春は大根・キャベツの産地で、今はスイカ・カボチャの収穫が終わり、次の種まきに向けて準備中のようです。写真の茶色い部分が畑です。遠くに久里浜の火力発電所の煙突が見えます。そのまた遠くにうっすらと見えるのは、対岸の房総半島です。

_004_9 剱崎に出かけた目的のひとつは海岸特有の植物の写真を撮ることでした。しかし、海岸特有の植物はあまり見かけられず、普通の野山で見られる花が目立っていました。左のオレンジ色の花も「ハマ・・・」というような植物だと思っていたのですが(海岸特有の植物はハマが付くものが多いのです)、普通の「ノカンゾウ」のようです。

花以外の目的もありました。剱崎は私が好きな作家・立原正秋さんの「剣ヶ崎」(つるぎがさき)の舞台の地です。また曽野綾子さんの「天上の青」もこのあたりが舞台になっています。

荒涼とした風景は、家族が何人も亡くなってしまう、「剣ヶ崎」の重いストーリーにぴったりです。三浦半島は起伏に富んだ地形で、特に海に近いこのあたりは人跡未踏に近い小さな森や崖が多いのです。「天上の青」の宇野富士男が死体を隠しそうな場所がたくさんあります。

灯台や荒涼とした岩場の写真を載せたかったのですが、撮った写真に娘が写っているので載せられませんでした。これでは剱崎らしさが全くわからない記事ですね。続きは後日に・・・

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